「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」
D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?
フランスの画家ポール・ゴーギャンの最高傑作とも称される絵画の名称である。
我々が心から欲しているものであり、哲学の永遠のテーマである。
私がこんなブログを書くのも、我々が、その何かを思い出そうとしているのからだと思う。
stingのshape of my hart という歌の歌詞に
「He deals the cards as a meditation
And those he plays never suspect
He doesn't play for the money he wins
He don't play for respect」
彼は瞑想をするようにカードを扱う
彼は勝ち金のためにやっておらず、
尊敬を得るためにでもない。
カードプレイヤーの歌なのだが、
Sting from a 1993 promotional interview:
「カードプレーヤーについて書きたかった。勝つためでなく、何かを突きとめるために賭けをやっている、幸運や運命の中にある神秘的なロジック、科学的でほぼ神聖な法則のようなものを発見するために賭けをやっているギャンブラーについて書きたかった。つまり、この男は哲学者なんだ。尊敬されたいとか金のためにプレイしているのではなくて、ただ法則を知ろうとしている。何かロジックがあるはずだということさ。彼はポーカープレーヤーだから、自分の感情を表現するのは簡単なことじゃない。実際、彼は何も表現しない。仮面を被っているのさ。それはただ一つの仮面で決して変わることはないんだ。」
「He deals the cards to find the answer
The sacred geometry of chance
The hidden law of a probable outcome
The numbers lead a dance」
彼がカードを配るのは答えを見つけるためさ
運という名の神聖なる配列
起こりうる結果の裏にある隠れた法則
その数字に人は翻弄される
我々は長い間「数字」という現実に翻弄されてきた。そろそろ何かを思い出してもいいと思うのだ。
だからこそ私はブログを書くし、これを見たあなたが少しでも自分で考え、自分の考えで立ち上がり、もう一度現実を見て、人生をより力強く生きる、助けになればいいと思うのだ。
ブッダやキリストが言うように、我々はもうすでに全てを知っていて、全てを与えられているのだ。故に何かをする「必要性」は存在しないのだ。
そう聞いて、頭のおかしいやつだと考えたなら、その思いをもってそれを現実を生きるための糧にして欲しい。
ブッダは、「答を外に求めるな、答は内にある」といったが、
私のブログや他の全て、宗教に答えを求めないでほしいのだ。
それを通じて自分の内側にある神性に気づいて欲しいのだ、宗教はそのために存在する。
全てはあなたがあなたの神性に気づける為に存在しているのだ。
美しい雲も、道端の花の美しさも、子供の屈託のない笑顔も、素晴らしい音楽も、絵画も、詩もブログも。誰かとの別れや死でさえ。あなたが偉大な自分に気づくためのヒントなのだ。
外で咲いている美しい花々は神性を表現しているが、あなたは「自分という美しい花」を 感じて触れた時にだけ、神性を体験できる。
外にある表現は、あなたの内的な表現に導いてくれるが、決して代わりにはならない。
そして、内的な表現が外に向かって表現される時に、輪が完成する。
この輪(循環)が、生命/人生の目的であり、宇宙全体の働きなのだ。
だが、外にある神性の表現は、あなた以外の何か(誰か)の体験に過ぎないのだ。
それを自分の神性の体験にしてしまうと、あなたは内部を外部で代用することになる。
そうなると、あなたは『自分の内なる神性の力』から遠ざかり、自分の力を失ってしまう。だから、あなた以外の何かを崇めさせようとする者には、気を付けなさい。
あなた方を支配しようとする者は、一番高い地位に座りたがり、重い負担を作り出して人々の肩に担わせる。
彼らは、豪華な衣装を身に着けて、人々から頭を下げられる事を無上の喜びとし、自分を「父」「最高の師」などと呼ばせたがる。
だが、あなたの本当の師は1人しか居ないし、その師はあなたの心の中に(魂に)居るのだ。ニール・ドナルド・ウォルッシュ 新しき啓示 より抜粋
あなたは、あなたを信じて、あなたの道をゆくのだ。
あくまでこのブログや、他の素晴らしい人や物、偉大な哲学者や宗教指導者やアーティスト、美しく気高い神性を示すものは、
あなたが自身の素晴らしさや神性に気づき、それを表現するためのものに過ぎないのだ。
それを祟り、経験しようとするのではなく、自分自身の神性に気づいて欲しいのだ。
我々の中に特に素晴らしいものなど居ない、皆、自分の神性(この言葉は使いたくないが才能とも呼ばれることもある)を持っているのだ。
ただ、そのことを多く思い出している者がいる、というだけなのだ。
神性を見て、神性に気づき、神性を表現する。
今度はあなたがあなただけの神性を、
音楽や哲学、物や詩や、演技や言葉、彫刻やボディビル、作品や個展、あなたの人生を通して表現(体験)してほしいと思うのだ。
モーゼやキリストが奇跡によって神性を示したように、
あなた方が生み出した神性(あなたの体験)は、また誰かが自身の神性に気づき、それを表現するための糧になるだろう。
そうして輪ができ、循環が生まれる。
そのために世の中は素晴らしいもの、美しいもの(神性)であふれているのだ。
このブログも、あなた方を気づかせるための、美しさ(神性)を示すことを祈る。