NO PAIN NO GAIN
痛みなくして、何も得られない。
ボディビルにおいては、よく使われる言葉だと思う。
そのボディビル最高峰の大会で4連覇中のフィル・ヒースはこう言う、
犠牲がなければ、報酬は得られない。
その通りだと思う。
だが私自身、ワークアウトをしていて、痛いとは思うが、苦しいと思ったことはないのだ。
むしろ苦しさを感じる人は、その道の三流だと思っている。
(自分で言ってるだけだが笑)
なぜなら、私はそのことをやっていて、最高に楽しいのだ、幸せなのだ。
楽しいことに関しては、私は底つきぬ情熱を感じているのだ。
本来このような発言とは、それなりに結果をだした晩年の選手がいうことだと思うのだが、
少し感じたことなので、不肖私なりに書いてみたいと思う。
まず、何かをするということに対して、痛みは付き物だと思う。
歩くのもそうだし、受験に合格するためにも痛み(努力とも呼ばれる)が伴う。
だが、痛みは痛みで、苦しさとは別だと思う。
本当にそれが好きで、楽しみ、そのための手段さえ愛することができれば、それは「痛み」であって、「苦痛」ではないのだ。
私は昔から絵を描くことが好きだった。
とにかく真っ白な紙に、自分の好きなものを描くのが楽しくて楽しくて仕方なかった。
だから描いた絵の出来なんて、
ましてや人から褒めて貰うことなんてどうでもよかった。
ただ、「描いてる」ことこそが、その在り方こそが私の至上の喜びだったのだ。
そうしたら、それなりに絵は上達していたのだが、
私はそれを「辛い努力」とか、「苦痛」とは思ったことがなかった。
これを見てる人にもそういう経験があると思う。
楽器が好きだったり、昆虫が好きでたまらなかったり、はたまた勉強するのが好きだったり、夢中で何かしたいるのが、堪らなく嬉しかったことはないだろうか。結果に関わらず。
だが、「それこそ」が結果に繋がっているとも知らず。
ただ何かしてること、ただそう在ることこそが限りない至福に思えたことが。
だがそれを仕事や生き方としてとらえた時に、人はいつの間にか、
書いた絵の出来、他人の評価、
「結果」ばかりに関心がいくのだ。
ただ楽しくて描いていたのを忘れ、
人から評価されよう、良いものを描こうとするようになるのだ。
それこそが「苦痛」を産むのだ。
(蛇足だが、楽しく書いていた漫画家が、デビューしてから締め切りに苦痛を感じるのはこのためだと思う。笑)
ただ、描くこと、在ること(姿勢と言おうか)の素晴らしさを忘れてしまうのだ。
ジョジョの奇妙な冒険という作品にこんなセリフがある。
「大切なのは、真実に向かおうとする意思だと思っている」
大切なのは、「姿勢」であり、「在り方」であり「意思」そのものなのだ。
結果が幸せをもたらすのではないのだ。
ただその在り方、努力に幸せを感じること。
成功を収めている人は、「その結果」
結果を手にしているにすぎないと思うのだ。
結果を手にしたから→幸せになるのではなく。
幸せだから→結果を手にしているのだ。
ミスターオリンピアで7連覇を成し遂げたアーノルドシュワルツネッガーはこう言っている。
「ワークアウトが楽しくないなら、止めればいい。楽しくないものを
無理に続けても、偉大なボディビルダーになんかなれっこないんだから。
偉大なボディビルダーになるためには、
ワークアウトを含む全てのボディビル生活を愛せなきゃダメだ。」
大会に勝って大喜びしたり、負けて落ち込んだりするのは右肩上がりの成長の邪魔だと考えている。喜びは日々の練習にこそ感じたい。
と言っている。
沢山の分野で、所謂「成功」を納めている人たちは、
そのものが楽しくて仕方ない。そのための努力が好きで仕方ない。そういう人たちだとおもうのだ。
そういう人が偉大になるのであって。
結果のために嫌々やるような人は、偉大にはなれないのだ。
ちょうど、ダイエットのために運動を始めた人が、リバウンドてすぐにやめてしまうように。
研究者、科学者、スポーツマン、アーティスト、経営者、アイドル、俳優。
尊敬すべき人は、その分野が、その生活が愛しくて楽しくて仕方ないのだ。
ただ楽しくて幸せなのだ。辛いことがあっても続けられるのはそのおかげだと思っている。
だからこそ結果というものも出せるのだ。
あなただってそうではないか?自分が一番幸せを感じ、喜び、楽しみ、情熱を燃やせるものはないだろうか。
その情熱さえあれば、いつか結果は報われるのだと思う。
いや、結果などなくてもそう在るだけで彼らは幸せなのだ。
だからこそ、結果を手にできるのだ。
報われないなどという人は、結果を見すぎて、「苦痛」を感じ、途中でやめてしまうのだ。
そして「結果」もでないのに幸せなんて、お気楽だねと蔑み。
絵空事だ夢を見過ぎだというのだ。
その人が結果も手にすれば、世の中不公平だと妬むのだ。
稚拙でいたらない説明だと思うが、私はこれこそが真の人の在り方だと感じているのだ。
私があなたが、これから歩む道は、どんな道なのだろうか。
私はその道を、愛し、楽しみ、慈しみ、幸せを感じるように在りたいと思う。
結果なんていうものは、
雪が積もった地面を、楽しくて踏みつけていた、
後から付いてくる足跡のようなものだと思うのだ。