Meron Sweet

趣味について、自分なりに考える場として利用していきます。

私が望む仮想現実空間のOS及びその世界

まず私が話しておきたいことは、インターネットはもはや、もう一つの世界と言えるということだろう。

しかしながら、インターネットにおける人間の関わり方は、極めて偏狭なものと思える。なぜならツルツルした四角い画面から、文字や映像による視覚や聴覚でしかそれを体験できないからである。

 

そのもう一つの世界であるはずのインターネットが、現実とは程遠い、少ない情報量でしかやりとりできない現状が、誤解や矮小で陳腐な双方向コミュニケーションしかできない現状を形成しているように思える。

 

インターネットの本質がそうなのではない。

インターネットはむしろ双方向の情報の流動性を高めてくれるものだ。その速度は加速的に高まってきている。

日本にいながら、ブラジルの洋服店を覗くことができる。

それに加えて私は、インターネットは人々を国境や性別、教義心情を超えて自由に人々が行き交う場所でもあると思う。

それは、公園の噴水などとは比較にならない。世界中の人々を集めた噴水の公園と言える。

国境やあらゆる区別を超え、人々が一つになれる場所なのだ。

 

しかしながら現状のインターネットとの関わりかたは、その特性を最大限に生かせる環境であるだろうか。

そうではない。インターネットは、未だに言語という壁を乗り越えられていないし、視覚や聴覚にのみ頼るコミュニケーションはひどくお粗末なものだ。人間の根幹的コミュニケーションである、言語線の肉体的コミュニケーションの欠けたコミュニケーションの悲惨さは前述の通りだろう。

 

現状のインターネットはむしろ一体性ではなく、分裂性を示している。

 

現実にはない理想の環境や特性があるインターネットが、現実と同じようなくだらない個人、集団分裂主義に陥ってしまったようだ。

 

インターネットの中でさえ「派閥」や「コミュニティ」が蔓延っていて、対立が生まれている。

 

その原因はなんであるのだあろうか。

 

そう前述のインターネットとの関わり方の後進性である。

私が強く言いたいのは、今のインターネットとの関わり方がひどく陳腐で、それなのにそのことに誰も疑問を抱かないということだ。

 

ツルツルしたガラクタや、暑くなる箱とキーボードによって人は本当にコミュニケーションができるのだろうか。それをもらって嬉しそうにニコニコそれが正しいと闇雲に信じているだけではないのだろうか。

 

まず、インターネットは顔が見えない、相手のことを触れない、表情が見れない。

 

これらはコミュニケーションにとって最も大切な部分ではなかっただろうか。

 

人が会話するとき、言語、何を話しているかよりも、身振り手振りや雰囲気、テンションを見る。そういう心の通ったコミュニケーションが現状のインターネットの関わり方では不可能だ。

 

ここまで長く話してきたが、それらを解決する一つの手段がある。

それはUIそのものを世界として構築し、その中に人が入れば良いのだ。

仮想現実空間に一つの世界を作る。その中に入って今までやってきたこと(人差し指で悪口を書くこと)を行えば良いのだ。

もちろん相手の顔も見える。アバターではあるが。

 

その利点の例がこれである。夜中やせ細った小汚い男がやってきて、遠い国のものですがお金も泊まる場所もないと言ってきたらどうだろう。他を当たってくれと言って追い返すのではないだろうか。

 

しかし仮想世界で、もちかなんかのキャラの男と楽しそうに話していて、突然、男が今日お金も泊まるとこもないと言ってきたらどうだろう。心配になって助けてあげたくなるかもしれない。

 

このようにインターネットは人との距離を近くする。偏見をなくして、多様性を生むとは言っていても、頭に染み付いたそれをなくすことは難しい。

 

だがそれがそんなこと自体が関係ない仮想現実世界で会ったらどうだろう。そんなこと気にせず話せるかもしれない。

あらゆる溝を埋め、橋をかけることができる。

 

それを通してこう気づくこともできるだろう。価値観や物質的考えなんてくだらない。そしてもっと精神性に価値が行くかもしれない。

 

私はハイテクノロジーによって、人類が物質的な価値観を捨てる時というのはいずれ来ると思っている。

足の速い男が、バスに乗る現代では全く意味がないように。

テクノロジーが肩代わりする無限に近い世界では、それらを比べ合うこと自体虚無に感じられてくる。

 

そうして初めて、人類は精神や魂、元々あった共同体やつながりの理想社会に目が向くと思うのである。

 

しかし、ハイテクノロジーが溢れかえるまで、あと何年かかるかわからない。

しかしインターネットは、この世界を変えてしまうツールは、今そこにあるのだ。

 

仮想現実では何でもできる、マトリックスのようなものだ。

空だって飛べる。みんななんだってできる。だからそんなこと比べあったりしない。むしろ一体性にむきだすだろう。その価値と気持ち良さ心地よさに気づくだろう。胎児のように。

大事なのは、何をするかではなく、それを通じて何を表現するかということが。わかるだろう。

 

 

 

私はこの仮想現実世界にとても可能性を感じている。

それは国境やあらゆる区別を超えて人々が一つになれる可能性だ。

インターネットというツールは本来そういう性質がある。それをダメにしたのは、それに対してのアプローチの仕方そのものである。

 

私は昔ニコニコ動画という動画配信サイトをやっていた、そこではリアルタイムでコメントが流れて、皆一体感を感じていた。今はそれも廃れてしまったようだが。

 

インターネットは人を一つにする力がある。私はそう信じている。

そしてこの仮想現実世界こそが、それを通じて現実世界そのものも変えてしまう力があると信じている。

 

このアプローチによってインターネットは、真の姿となって、

人々に本当の世界を恩恵を見せてくれると思う。