「ねばならない」ことなどない。
あなたは今、「自分には、しなくてはならないことがある。」そう思いだろうか。
あれをしなきゃ、こうしなきゃ、このままじゃいけない、なんとかしなきゃ。
そしてその必要なことをすれば、それは思い通りになる。そうお思いだろうか。
でも、何かおかしいなと。疑問に思っているのではないのだろうか?
本当にそれをしなくては、幸せになれないのだろうか?疑うべきだ。その考え方を、そして問いかけてみるべきだ。それが本当なのかどうか。この現実について。
あなたは本当は全てを知っていて、まだ思い出していないだけかもしれないのだから。
話が逸れたが、我々は、「必要な物を充分に手に入れられないと、幸福になれず、愛されもしない」そう考えてきた。
そして「手に入れるには課題を果たして資格を獲得しなければならない。」そう信じている。
あることをしなければ幸せになれない。ルールを守らなければ、高学歴をとらなければ、いい会社に就職しなければ、お金がなければ、これはこうしないと、これはこうじゃないと、ああして、こうして。こうじゃないと。そうして法律や宗教、指針が出来上がった。
昔の人はあらゆることをして、子供を殺してまで、神を喜ばせようとした。
それが、天国へ入り、幸福になる為の資格だと思っていたからだ。
現代でも同じようなことをしている。人はいつもなにが必要かを考え、様々な資格を手に入れようとしてきた。様々な条件を考え、そうなろうと努力してきた。
「しなければならない事がある」と信じれば、それが何かを知ろうとし、それを達成しようとする。
「達成すること」が今のあなたがたの神だ、彼を喜ばせれば、幸せになり、天国に行けると信じている。
あなたを縛っているのは、ああしなくてはいけない、これではいけないという「ねばならない」とする考え方だ。
もう一度考えてみて欲しい。本当にそうなのか、疑ってみて欲しい、自分の考えを。
信じていることを。認識を。
あなたは、何も必要としないのだ。しなければいけないことなんて何もない。
あなたは完全な自由だ、縛っている唯一のものは、あなたの考えだ。
あなたの認識が変われば、あなたの見る現実も変わるだろう。
そして気づくだろう、自分には全てが与えられていたことを。
そのうえであえて、今この一見都合の悪い現実を経験し、そして掛け替えのない自分という存在を楽しんでいたのではないかと。
あなたは何のために生まれてきたのか?神に乞い願い、都合のいいことをするために生まれてきたのだろうか。
簡単で、都合が良すぎるゲームなど、楽しいものだろうか。
不都合だからこそ、体験したいと思ったのではないか?
あなたの周りは、いつも完璧だったのだのだと気づくだろう。
全てが成長のための天使であり、贈り物であった事を。
すべてが完璧であると知れば感謝をするだろう。
全てに完璧さを、全てに天使を見て、全てに祝福し、愛し、感謝をする生き方をするだろう。
出会う人一人一人が天使に、移ろう景色が光に。文字の一つ一つまで、あなたを祝福していたのだと。
全てに完璧さを見て、全てに感謝をし、
全てを愛すること通して現実は変わり始める。