アニメは日本に置けるハリウッド映画?
最近、なんたらの団体の公募した、アニメキャラクターが女性蔑視だうんたらかんたらで反対署名があつまったという記事を片目で読んだ。
ここで言いたいのは、アニメーションは、他の文化にも劣らない立派な文化であるということである。
根暗で地味な格好した人々が愛好しているというのは真実である(たぶんw。)だがだからといって、その文化が恥じることがあると認識する必要はない。
現実逃避に用いられるというのは事実かもしれないが。
誰しも現実から離れたいものではないだろうか。
あらゆる娯楽というのは現実を忘れる為のツールという側面も持っていると思う。
スポーツやってる時は嫌なことも忘れられる。映画見てるときは、趣味をしているときは、友達と話すとき、このブログもそうである。
なのに何故それらに優劣をつけようか?
映画や歌舞伎がゲームやアニメより高尚であるか。私はそう思わない。
全ての文化は等しく平等である。
私は等しく文化を愛する。人々を愛している。
誰しも現実から癒されたいのである。娯楽にはそういう需要があるのだ。
スマホゲーが普及したのも、手軽に癒されれば、それに越したことはないからだ。大掛かりなゲームで、大掛かりなステージをクリアーする必要はなくなったのだ。
話がそれたが、本題の、映画とアニメ、その文化の類似点を述べたい。
個人的にアニメと映画は似ていると思う。監督や作者が表現したいものを、アニメは何枚もの絵が表現するが、映画はセットや俳優が表現するかの違いでしかないと思うからである。
ようは表現媒体の違い。画用紙でクレヨンで書くか、モニターにペンタブで書くかぐらいの違いだと感じる。
確かにそれぞれ文化について異なる点がある。アニメ文化は所謂オタクと呼ばれる可愛い女の子を見て萌え萌えしたい種族であるから。その手の表現にも重きが置いてある。
作り手もビジネスであるから、買い手の需要をを反映させるのは当たり前である。古代の画家たちもそうしてきた。たぶん。
(ここで商業主義やストーリー薄な萌えアニメを否定するつもりはないそれはそれで良さがあるのだ)
そういった文化が形成されていった。
だがだからといって、ストーリーはグリコのオマケ程度のお粗末な物かといえばそうではない。
アニメの利点として、二次元であるという特性上、とても自由であるということが挙げられる。それと比較的低予算で作れるということ。
例えば空を飛ぶシーンを、映画なら役者を中ずりにしたり、飛行機にしがみつかせたり、多様なcgを使う必要はなく。線と塗りだけで表現できるところである。
アナログにはアナログの良さがあるのだが、ここでは置いといて、
アニメーションはその特性上。とても自由に表現できるのだ。
現実ではありえないこと。できないこと。伝えられないこと。真っ白な用紙にとても広い自由な表現がのびのびと広がっているのだ。
監督や作者しだいで、いかようにもできる。魅せられるというのがアニメーションの魅力なのだ。
アニメだからこそのどんでん返し。ゲームという特性を生かしたストーリー構成。そんな沢山の監督や作者がやってきた作品が、とても魅力的なのである。
ここで作品名をあげればきりがないが、今放送中のがっこうぐらし!というアニメはアニメという特性を存分に生かした物だと思うので是非見て頂きたい。
あとはさよならを教えてなど上げていけばきりがない。
オタクだの根暗だの蔑まれてきながらも育まれてきた。この文化を私はとても素晴らしいと思う。
文化に優劣などはなく、それぞれの道でしかなく、アロマのように、それぞれに楽しみ方があるということを、
覚えておいて欲しいのである。
それが楽しむ秘訣であると思うのだ。