Meron Sweet

趣味について、自分なりに考える場として利用していきます。

変化が欲しければ、まずは「行動」ではなく「在り方」を変える

我々は、「変化」を求める時に、

「結果を求めた行動」によってそれを成そうとする。


ここで言いたいのは、

だがそれが長期的で大規模になるほど、

表面的な行動ではなく、

まずは自分の「在り方」を変える必要がある。

そして行動とはそこから自然に生まれるものである。

それが変化を齎す。ということである。


人は「結果」を求めていると、「結果」が出なければ欲求不満になり前進をやめてしまう。そして敗北する。



わかりやすい例を上げれば、

「私、今日から勉強頑張る」と張り切る人、

「寝よう寝よう」として寝れなかったり、

その他大きな夢を語る人が挫折する経験を知っている、もしくは体験したこともあるのではないだろうか。


そのいずれも、「結果」を求めた行動で、「結果」が得られず、そのうち欲求不満になり、その前進をやめてしまうケースである。



では自分の「在り方」を変えるとはどういうことか。


ニール・ウォルッシュ著の本「新しき啓示」の言葉を借りれば(この本の名前を出せば賛否両論あるのは承知)


それは、「欲しい変化を、自分自身の在り方にすること」である。


例えば、アバウトに言えば、

勉強を続けたければ、「勉強を続ける自分」という在り方を選択すること である。


自分の在り方が変われば、その在り方から、自然と行動は起こってくるのだ。


あなたが毎日無意識に歯を磨こうとするように。


日々の行動は自然と変化する。



夜に寝たければ「寝つきの良い自分」を選択すればよいのだ。


あなたが変われば、夜になれば自然と眠っていた自分に気づくだろう。


だが多くの人は、人の「在り方」を変えるなんてそうそうできるものではないと思っている。


だがそんなに難しく考えることではなく、これは単純な話


それには「日々の生活の中で、在りたい自分を選択し、決定する」

ということを理解する必要がある。(またこう言うと、夢見がちな女性の書くポジティブ日記のようで恐縮だが最後まで聞いてほしい。)


前回、前々回にも繋がる話(詳しくはそちらで)だが、

人は生活の中で、自分がどんな人間かを選択し、規定しているのだ。

あなたは今も、行動によって、自分がどういう人間なのかを決定している。

あなたが歯を磨く時、磨かない時、顔を洗う時、洗わない時、

タバコを吸う時、体に害を与えるとしりながら食べる物。靴を左右どちらから履くかまで、

あなたはそれらの行為によって、自分がどういう人間なのかを選択し、決定しているのだ。


寝る前のミルクでさえ、あなたを決定している。


日々の練習やハードなトレーニングが、一般人とアスリートの在り方の相違を決定するように。


だが今は、あなたの長年染み付いた習慣的行動が、あなたという人間、在り方を規定している。


まずはそれに気づくこと、

そして、これからは自分のありたい在り方によって、日々を意識的に選択することだ。


アバウトだが、「勉強をする自分」

であれば、今、どのような選択をするだろうか。と注意を払うことである。

そしてそのように振舞うことである。それがいつしか、自分の在り方になっているだろう。


「勉強をする自分」は夜4時まで起きているだろうか。朝は何時に起きるのだろうか。人にどんなことを言うのだろうか。どんな事を考えるのだろうか。


そうすれば自然と在り方から行動を起こすようになるだろう。

そうして意識的に、自分を再創造するのだ。

「勉強をする自分」は勉強するのだから。


「健康的な自分」であれば、ここで何を選択するのか、害があると知りながら、タバコを吸うのだろうか。そう振舞うのだろうか。

誰に対して、何というだろうか。

バスを選ぶだろうか、徒歩を選ぶだろうか。


「自分がありたい偉大な自分」ならどうするだろうか。

キリストならどうするだろうか、ブッダなら今、ここで何を選択するだろうか。

それを教えられるのが宗教だ。

キリストや、ブッダ、モーセやラビや、過去の偉人の在り方、選択を知り、

どんな選択をすれば、その在り方になれるのかを習うのだ。


そして人は、自分の描くもっとも偉大なビジョンになる。自己実現をする。


それこそが進化であり、人間の喜びでもある。


だから、結果を得たいからと言って、在りたくもない自分になる必要はないのだ。


思うに結果などは必要ないのだ。

それは在り方の、結果でしかないのだ。

ただリンゴが落ちて潰れるのと同じことなのだ。



ガンジーは、まず、ある在り方を達成した。内から成し遂げたのだ。

その次に、やっと外に向かう行動をした。
彼は、行動の結果としてある在り方を獲得したのではない。

彼の達成した在り方が、行動に反映されていたのだ。」



以上がマイケルジャクソンの、マンインザミラーの歌詞のような、存在論でした。


行動ではなく、まず在り方こそが、長続きする変化をもたらす鍵だと思うのです。


外を変えようとするな、自分が変わるのだ。あなたが変われば、あなたは違う世界を覗くだろう。